旧中山道 紅葉の碓氷峠  2013 10 28


旧中山道 碓氷峠 (横川駅⇒軽井沢駅)  

横川駅標高約387m ・碓氷峠頂上標高約1,201m 標高差、約814m 歩行距離約17km

横川駅(9:45)⇒坂本宿(10:15)⇒旧碓氷峠入口(10:38)⇒覗き(11:08)⇒東屋(11:22〜11:26)⇒堀切(11:40)⇒
山中茶屋跡(12:29)⇒陣場が原(12:46〜13:13)⇒熊野神社(13:48〜13:55)⇒見晴台(13:59〜14:07)⇒軽井沢駅(15:26)

(歩行時間4時間55分:全所要時間5時間41分) am9:45〜pm3:26    yahoo地図 コースmap

※歩行時間はワンコ連れのため、余り参考にはなりません。
昔の面影が残る旧中山道(碓氷越え)は鎌倉時代からあった主要街道で、碓氷峠は中山道最大の難所として知られていました。江戸時代には道が整備されて、関所や坂本宿、軽井沢宿等が設けられました。しかしながら険しい急坂がつづく難路であった為、明治19年に中山道は南方に開削された新道(旧18号)に移り、新峠が作られました。昭和46年には碓氷バイパスが開通され、上信越高速道は平成5年に、開通されました。現在では昔の面影を残したハイキングルートとして活用され、街道跡を横川駅から辿ることが出来ます。道中の各案内板から察して、当時は旅人で賑やかっていた様子が伺えます。峠の先に由緒ある熊野神社があり、かつては旅人が道中の安全を祈願したといわれます。近くには見晴台があり、上毛三山や浅間山などが見渡せる眺望の名所となっています。 
 
今回で2回目になる碓氷峠旧道登りコースを、紅葉を楽しみながら歩きます。嬉しい事に熊野神社より旧軽井沢周辺は、紅葉真っ盛りでした。最近は、もっぱら町内散歩主体で物足り無げなワンコ、「ミニチュアダックのnanaco」を引き連れ、同行者と一緒に歩きます。前回気になった廃車数台は片づけられて、違和感が無くなった旧中山道でした。前回訪問時(2009/11/10)のnewバージョンです。
横川駅の無料駐車場に車を置き、鉄道文化むらのアプトの道からワンコ「nanaco」を引き連れ歩き始めます。鉄道文化むらは信越本線の廃線跡を利用して碓氷峠で活躍した鉄道車両や国鉄時代の貴重な車両などを展示・公開しています。期間・距離限定で、トロッコ列車も運行されています。
遊歩道脇にさいていた可愛い花です。(ムラサキシキブと ? コスモス)
碓氷峠は江戸時代に中仙道で関東と信越・北陸の間の重要な位置づけで、今でも関所の跡が残っています。当時は常峰番所が置かれていて、関所破りを見張っていました。碓氷関所跡はアプトの道を外れ、横川駅から歩いて5分ぐらいです。碓氷バイパスとの分岐を旧道から歩きます。私の好きな関所ラーメンは、残念ながら営業前でした。
 
旧18号最初の左カーブを細い道に真っすぐ進んでいきます。すぐ左側に「薬師の湧水」がありワンコの「nanaco」共々、美味しく頂きます。道路脇に咲いているミントの香りがたまりません。頭上では特殊な機械で、上信越高速道の点検をしています。
坂本宿に入ります。江戸時代に幕命で計画的に作られた宿場で、刎石山に向かって広い宿場道が伸びています。
当時は、本陣、脇本陣、馬宿、旅籠40件ほど、酒屋、風呂屋、米屋等などの店が並んだ賑やかな宿場でした。現在でも当時の建物が少しだけ残っています。宿場の面影を残した家並みが続き、辺り一帯は人の気配はなく、ただただ車が通り過ぎていきます。宿場最後に食堂跡が数件ほどありました。
左上にある八幡神社で早々お参りです。軽井沢17kmの標識の後方に鉄塔が見えますが、これから回り込んで鉄塔の真下を歩いて刎石山を登ります。すぐに旧18号が右に大きくカーブするところで、旧中山道は大きな貯水タンクの左を進みます。
すぐ右に行き、真っ直ぐ進んで突き当たったら左に曲がり、中山道の道標があります。右に階段状の道を登り、旧18号が目の前です。猿が群れをなして騒いでいます。「nanaco」は、全く猿には興味が無いみたいでした。
旧18号を横断すると峠入口のバス停が見えます。旧中山道入口に到着です。ここからは山道になり、登山口には熊出没注意と、猿にエサを与えると危険です!の注意看板がありますので熊鈴を用意します。※毎年、侍マラソン(安政遠足)が開催されているコースです。
登り口から結構な急坂で、暗い樹林帯の中を熊鈴を鳴らしながら進むと、坂本宿から見えた鉄塔の下に出ます。枯葉の中を歩き、道端には安政遠足(とおあし)道標が熊野神社まで所々立っています。瓦礫の続く道を上がると、やがて「柱状節理」の説明版がある場所に着き、火成岩が冷却し柱状に割れた岩盤が露出しているのが見えます。
右には馬頭観音・大日尊などの石碑が並んでいました。北軽井沢方面の景色が少しだけ開けます。「上り地蔵・下り地蔵」の案内板がありますが、地蔵様は見当たりませんでした。
覗き」に到着し、このルートで唯一、安中方面を一望出来る場所に出ます。坂本宿がよく見える場所で、ひと息入れます。冷たい風が吹き出さない「風穴」が左側にありました。「弘法の井戸」の井戸を覗くと枯れ葉が浮いていて、飲めそうにもありません。
少し歩くと「刎石の茶屋跡」があり、四軒茶屋の石垣跡が残っています。江戸時代には多くの旅人で賑わっていたのでしょうね。平坦な道を過ぎ、左手には碓氷坂の「関所跡」の看板と東屋があります。
「碓氷坂」の関所跡には、前回訪問時と違い新しげな東屋になっていました。ゆっくり休憩出来る唯一の場所です。熊野神社まであと6.4kmです。
「堀切」まで景色の無い杉林の尾根道を進んで行くとようやく杉林が終わり、徐々に木の葉も色づいてきます。nanacoもご機嫌モードに入って来ました。
 
両側が切られている「堀切」です。天正18年豊臣秀吉の小田原攻めで、北陸・信州軍を,松井田城主大導寺駿河守が防戦しようとした場所と、新しい案内板に書いてありますが、古い案内板を撮ってみました。
 「南向馬頭観世音」です。道路脇の崖の上に南向に祀られています。この辺りは山賊が出たと云われているそうです。更に進んで行くと今度は「北向馬頭観世音」です。そして「一里塚」です。トラロープ先には足跡がありました。一里塚は慶長以前の旧道(東山道)があり、ここから昔は登っていたそうです。その途中に小山を切り開き「一里塚」が作られている」と案内板には書かれていました。
岩や小石がゴロゴロしている場所の「座頭ころがし」の坂道になります。4年前訪問した時は、何処から入れたか全く解らない不思議な廃車(旧トヨタマークUセダン)がありましたが・・・。何処にも見当たらないので、景観が良くなったと私の代わりにワンコが思ったかは、定かではありません。
栗が原」という案内板があり、明治天皇御巡幸道路と中山道の別れる広い場所に着きます。明治8年群馬県で最初の見回り方屯所が作られたそうで、これが交番の始まりというらしいです。ここからは心持ち、山道が広くなった感じです。
左側には西上州の山並みが見えます。若い紅葉を時折見上げ、清々しい気分で歩いていきます。やがて「入道くぼ」と書かれている説明には「山中茶屋の入り口に線刻の馬頭観音がある。これから、まごめ坂といって赤土のだらだら下りの道となる。鳥が鳴き、林の美しさが感じられる。」とありました。
 
「山中茶屋跡」には寛文2年(1662年)には13軒の立場茶屋がありました。「山中学校跡」で、明治11年の明治天皇北陸巡幸の際、児童が25人いたので、25円の奨学金の下附があって、奉公官から十円の寄付があったみたいです。
随所に栗が沢山落ちているので「nanaco」は歩き辛そうですが、健闘しています。時折、栗針地獄では抱っこをせがんで、難を逃れます。「山中茶屋跡」付近を過ぎると、以前は廃車(トヨペットコロナ)が捨てられていましたが、周辺はすっきりしていました。やがて「山中坂」の標識です。ここから子持山に続く山中坂は急坂で、ここで腹ごしらえをして登ったことから「飯喰い坂」とも呼ばれていました。先ほどから無性にお腹が空いてますが、休憩ポイントが無いまま歩き続けます。
 
前方より、本日二人目のおじさんとすれ違います。可愛いヨークシャテリア連れで、「nanaco」はお友達と会えてはしゃいでいました。廃墟化した別荘が左右に2軒あります。今度は腐食が大分進んだバスの放置?です。車内の座席が全部取り払われていたので休憩所か物売り場として利用されていたのでしょうか?
一つ家跡」付近に老婆がいて旅人を苦しめたと不気味な文章が、碓氷峠の鬼女・山姥伝説だそうです。伝説では、山姥は深山に住み、無慈悲で荒々しい想像上の女とされてます。そして侍マラソンと旧中山道との分岐にある「陣場が原」に到着です。戦国時代に武田方と上杉方が戦ったところと云われています。現在は小広場になっていて説明板が設置されています。

子持山」の説明板が近くに設置されています。ちょうど陽がさしていますので、広くなった隅で昼食休憩に入ります。自家製おにぎりと卵焼き、毎度のカレーヌードルを美味しく頂きます。ワンコもお腹ペコペコ状態ですので、好物の蒸しチキンで栄養補給です。4年前は安政遠足コース(遊歩道)の右へ進みましたので、今回は左側の旧中山道を進みます。
旧中仙道に入りしばらくすると道幅が幾分狭くなり、緩やかに沢へ向けて標高を下げて行きます。軽井沢に近づくに連れ、紅葉が映えて来ました。

 
「化粧水跡」です。峠町へ登る旅人がこの水で姿、形を直した水場」と書いた案内板が立っていますが・・・、どの辺りなのか全く分かりませんでした。「人馬施行所」です。江戸呉服商の与兵衛が、安中藩の許可を得て人馬が休む家を建てた場所です。沢川あり、旅人が喉を潤した場所で、碓氷峠一の水量を誇った水場跡です。橋の架かっていない谷川を飛び石伝いに渡ります。「nanaco」は抱っこ状態で渡ります。
 
沢を渡ると狭い道になります。急勾配で少し荒れ気味の山道です。しばらく頑張ると前方に尾根が見え始めます。「長坂道」の案内板があり、「中山道をしのぶ古い道である」と書かれていました。先日の台風の影響か、紅葉前の落ち葉が目立つようになります。
安政遠足コースとの合流地点の「仁王門跡」です。石碑や祠が置かれていて、案内板には「もとの神宮寺の入口にあり、元禄年間再建されたが明治維新の時に廃棄された仁王様は熊野神社の神楽殿に保存されている」と書かれています。鼻曲山、霧積温泉の表示が出ています。耳を澄ませば熊野神社方面より、人の気配が聞こえて来ます。
熊野神社周辺に来るとハイキングモードから観光モードに変わって行きます。予想以上の賑やかさに気分が高まり、神社へお参りに向かいます。
 
熊野神社に到着です。神社の真ん中が長野県と群馬県の県境になっているのが賽銭箱で分かります。シナノキを時計回りに1周すると1年長生きすると云われています。奇妙な目をした木像が、良い感じて鎮座していました。恐らく何かの由来でのお眼目なのでしょうね?
本宮の中心が、長野県と群馬県の境になっている神社。長野県側では「熊野皇大神社」、群馬県側では「熊野神社」と呼ばれています。その歴史はたいへん古く、「古事記」「日本書紀」の伝承にまで遡り、日本武尊が建立したと伝わる古社です。



見晴台は紅葉真っ盛りです。家族連れやグループ、カップル等で大変賑やかな見晴らし台です。眺望は妙義を始め、上州の山々と長野県側からは浅間山等が良く見えます。
旧軽井沢まで碓氷峠遊覧歩道を歩きます。「熊の生息地域」の注意看板があり、しばらくトラバース気味に下がって行きます。紅葉ポイントも数ヶ所あり、名の如く「遊歩道」と言う感じです。
 
落ち葉で埋もれたクネクネとした道を下がって行くと車道に歩道橋が架かっています。途中、小さな小川に木橋が架かっている場所を数ヶ所渡ります。時間が遅いせいなのか、単独男性一人とすれ違うだけの静かな遊歩道でした。
「吊り橋」が見えてきます。橋を渡ると道は広くなり、やがて別荘地になります。素晴らしい紅葉を楽しみながら歩きます。
 
軽井沢の紅葉は素晴らしく、綺麗な景観に感動です。
 
 撮影の為、少しだけリードを外します。
 
車道は別荘車両が通るだけの静かな道です。辺り一帯は素晴らしい紅葉ポイントになっています。やがて車道と合流して、車と人で賑やかになります。
軽井沢銀座は、観光客で賑やかっています。つるや旅館を横目に過ぎ付近を見渡すと、紳士・淑女が綺麗な格好で歩いています。私達は何処から見てもワンコ連れのハイキング仕様ですので、少しだけ目立ってたみたいです。
 
「nanaco」は初めて訪問する「軽井沢銀座」特有の賑やかな活気に感化されテンションが上がって来ました。可愛いプードルちゃんや牛くん達?にエールをもらっていました。
軽井沢は紅葉のピークを迎えています。ワンコを速やかに移動バックに入れて乗車します。前回(4年前と同じ発車時刻のバスに乗車すると、前回はガラガラでしたが何故か今回は賑やかでした)
横川駅行きのJRバス15:30分発に乗ります。軽井沢駅から横川駅直行便で片道約34分で500円です。ペット乗車規制は厳しく、体の一部でも露出しては許されません。新調した「nanaco」専用移動バックが大いに役立ちました。
 
峠の湯を予定していましたが、7月31日発生した火災の為休業中です。今回は初めて訪問する、磯部温泉郷「恵みの湯」でゆっくり温まり、疲れを癒しました。当日「群馬の日」と言うことで450円で入浴出来ました。
おまけ 

 2回目になる旧中山道を紅葉時期にお邪魔しました。前回は紅葉の終わりま際でしたが、今回は紅葉の始まり時期でした。
 高低差が800メートルありますので、何処かは紅葉ポイントになりますので、嬉しい限りです。
 歴史を辿る、旧中山道難所の峠越えは各案内板や、見どころポイントを察して、当時の様子が伺えます。
 
 以前山道に放置された廃車は片付けられて、不自然感が無くなり情緒を感じた次第です。
 晴天の日に歩け、光り輝く紅葉観賞が出来た事に感謝です。

 群馬の山歩き130選の一座、碓氷峠旧道下りを横川駅から軽井沢駅まで歩く逆コースは、
 今回も情緒豊かで秋特有の自然を肌に感じ、満足させて頂きました。

天候 :晴れ
出会った人=旧中山道 3人+ヨークシャテリア 熊野神社付近より超未知数
全く当てにならない疲労度:★★☆☆☆(足の短いワンコも最後まで元気でした)


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